琴座から来た宇宙人 シャクティ リラエル レポート 2015 pt12
日本各地へリラ人が入植した。当時はヤムートと呼ばれた。
転載元「夢のタネ」
12. リュラ星人の過去の日本入植計画
(11)では日本という国の創生について淡路島の近くにある沼島という島がその起源として、またそのような重要なパワースポットでもあるという話がありました。
そこからの続きです。
邪悪な異星人が沼島を狙っている!?
もし、これから先、この島が危険にさらされるような事態が起きるなら、それは必ず地球征服を企む「フリーメーソン」の上に君臨する「イルミナティ」に関与している邪悪な地球外知的生命体によるものとなるでしょう。
沼島は「神の起点」
それは、日本本土という「神の国」へ至るために「神の道」を通り、「神の戸」を開くための起点として存在しているのです。
話を戻しましょう。「天浮橋」とは長さ約3キロメートルの筒状母船のことです。これから発着する小舟は「天浮橋」または「天磐船」と呼ばれ、その形態は円盤型を中心にいくつかの型がありましたが、彼らは母船にのり外界の海に向かって「天沼矛」つまりカミナリに似た電気放電を起こすことによって「塩」つまり、元素を創造し、次々と陸地を形成していきました。
こうした活動によって完成した島国日本を、現在の根室半島から、南は台湾までを「ヤムート」と呼び、後世の日本人はこれを音訳して「大和」(ヤマト)と呼ぶようになりました。
ヤムート植民地化計画
その後、ヤムートへの私達(リュラ星人)の3度目の入植は、現在「高千穂」と呼ばれている地に行われました。これはヤムートを創造した代を一代目として数えた場合、3代目つまり「孫」の代にあたるため、後世の人々はこれを「天孫降臨」と呼び、彼らによって高千穂の地にはひとつの神都ともいうべきものが築かれていったのです。
しかし、この高千穂以外に、すでに先代達によって築かれた都市がヤムートの地の地域にも点在していました。入植の一団が最初に到着したのは飛騨連峰の高峰「立山」です。
彼らは飛騨立山から高山にかけて「飛騨王朝」を築きました。
第2に「富士相模王朝」これは富士山と富士五湖周辺、それに現在の芦ノ湖一帯です。
第3に「出雲日御碕王朝」現在の島根県出雲市日御碕(ひのみさき)を中心に、玉造、加茂、大船山、船上山、船通山、彌山(みせん)、葦嶽山(あしたけやま)、なども重要な拠点でした。
第4に「近江丹波王朝」琵琶湖周辺から伊賀いったい、丹波山地、綾部、日室ケ嶽、三輪山、鞍馬山、舞鶴港の北方約30キロに現在は2つの島となっている場所などです。
第5に「日高見蔵王々朝」蔵王山一帯と今の仙台市、山形市、福島市を3つのラインで結ぶ三角地帯及び仙台平野と牡鹿半島一帯に築かれました。
そして6番目に作られた都市が最初に述べた「日向高千穂王朝」でした。(中略)
琴座人たちの秘密基地
その後、ヤムートの北は北海道、南は沖縄、台湾、それにこの2つの島の現在は海となっている領域にもいくつかの都市を築き、それと並行しながら山岳、海底、地底の中などに後世の人々が発見することも立ち入ることもできない基地を建設していきました。
その中でも最大規模のものは直径約82キロメートルもの大きさをもつもので、これはほぼ球形に近い形として現在の千葉県と茨城県にまたがって存在しています。
基地の中心部は鹿島神社か?
この基地には円盤の発着口が8ヶ所存在し、そのうち、鹿島灘には海岸線に対して直角に進んだ沖合と左右45度の沖合の計3ヶ所、それを屏風ヶ浦、九十九里、印旛沼、霞ヶ浦、涸沼には各1ヶ所ずつの合計8ヶ所存在しています。
この基地は地底とその半分は海底に築かれましたが、現在の地図上では銚子犬吠埼の南東約5キロメートルから、松尾、酒々井、印旛沼、竜ケ崎市の町を通り、土浦、石岡、美野里町、茨城町、大洗町から再び海上へと、それは円の一部で示すことが出来ます。
横から見たこの基地の形状を説明すれば、それは球状の上の部分が盛り上がったイスラム教のモスクの屋根のような水滴形として表すことが出来、今日でもこの先端は地上にわずかに突き出しています。これはこの基地の丁度中心に位置する場所に建てられた有名な神社の境内に存在し、そこでは現在でもこれを大切に奉っています。
「もし、これから先、この島が危険にさらされるような事態が起きるなら」とは、この先に起きる可能性があるのか?それとも95年に起きた淡路大震災を示唆するものであろうか?「神の道」とは、淡路島の「淡」の部分を「火(か)」さんずいを「水(み)」とし「火水の路」。
そして「路」を「道」として「神の道」となり、「神の戸」とはそのまま「神戸」を指すのではないだろうか?
(※私もそうだと思います。このメッセージがあったのは1989年ごろでしたので、淡路震災はまだ起こってなかったのです。表向きは色んな事が言われますが、こういった背景もあったのかも??)
「秘密基地」の上部が「有名な神社」の地上に突き出しているとは、鹿島町にある「鹿島神社」の「要石」ではなか?と私(Y氏)は考えた。この要石は、今年の正月1月2日に鹿島神社へと参拝に行ったときに初めて見ることが出来たのだが、直径20センチほどの何の変哲もないものであり、宇宙人の秘密基地の一部だとは思えなかった。
しかしS女史がいくつかの地名を示し、「円の一部で示すことが出来ます」と語っているので、私は地図上のいくつかの地名に印を付けていったところ、そこには全体の6割ほどの円の一部が現れ、その中心付近を調べると、それはやはり鹿島町にある「鹿島神社」のあたりであった。
円盤の発着口8ヶ所は、45度間隔にあるのではないだろうか?
そう仮定することにより、涸沼、霞ヶ浦、印旛沼、屏風ヶ浦等が鹿島神社を中心として、ほぼ45度で一致することになる。
江戸異舟事件は琴座人だったのか?
S女史によれば、茨城、千葉にまたがって建造されたこの巨大な秘密基地にはたくさんの人々が住んでいたが、1803年から基地内の人々のほとんどが故郷の惑星に帰っていき、その後、現在では少数の宇宙人たちがこの基地に立ち寄ってある目的のために利用する程度になっているという。
1803年、奇しくもこの年には江戸時代に書かれた「梅の塵」と「兎園」という記録集には茨城県の漁村に不思議な船に乗った異相の婦人が流れ付いたという事件が記されているので、ここに紹介する。
- ■梅の塵
「享和3年(1803年)3月24日、常陸国(茨城県)の原舎浜に異様な船が漂着していた。その舟はちょうどお釜のような形で、内部は虚ろ(空洞)である。
中ほどには、お釜の刃のような出っ張りが周囲を囲んでおり、
上部は黒くて四方に窓がついていた。
障子は全てチャン(樹脂)で塗り固められていて、開けることが出来ない。
下部は節鉄を打ち込み、見た限り南蛮鉄の、それも最上のもののようであった。
異舟の高さは1丈2尺(約4メートル)で、直径は1丈8尺(約6メートル)ほどである。
この異舟の中に婦人が一人で乗っていた年齢がおよそ20歳くらいで、身の丈が5尺(約150センチ)に雪のような純白の肌をしており、後ろに垂れた髪の黒きことは実に艶やかで、その容姿の美しさは何ものにも例えようがない。
身に着けている着衣は、不可思議な織物でできており、今までみたこともない織り方であった。
言語がさっぱり通じず、婦人は小さな箱をいつも大事そうに持って、人を近づけようとしなかった。(後略)
- ■兎園
「享和3年(1803年)2月22日の午後のことだ。当時寄り合い席小笠原越中守(高四千石)の知行所である常陸国ハラヤドリという浜にて、沖の彼方に舟のようなものが見えたので、漁師たちが小舟を漕ぎながら近づき、ようやく浜辺に引き上げた。
そして、よくよく眺めて見ると、その舟の形は香箱のように丸く、長さ3間(約6メートル)ほどで、上部はガラス障子で出来ており、チャンで密封されていた。
底部には上等の鉄の板を段々筋のように張り合わせてあったが、これは海底の岩などに打ち砕かれないためかもしれない。上部の透明窓から内部を見ようと、多くの人々が集まったところ、船内に見たこともない奇妙な衣服をまとったひとりの婦人の姿があった。
その婦人の眉と髪の毛は赤く、肌は透き通るような桃色で頭髪は入れ髪(カツラ)であろうか、その部分は純白で長く背中まで垂れていた。まるで見知らぬ獣の毛か糸を束ねて作ってあるようにもみえるが、確かなことはわからない。
また、言葉が通じないので、どこの人間かもわからない。
この蛮女は2尺(約60センチ)四方の箱を手に持っていた。とても大切なもののようで、片時も手放そうとせず、人を近づけようともしない。(中略) 漁師たちがどうしたものかと議論し合う姿を、婦人はのどかに眺めて微笑んでいるだけである。(後略)
メーソンやイルミナティという組織の背景にはネガティブ系の異星人がいるといことについては、この時に語られただけでなく、何度か語られていたように思います。
ただ私があまり真剣に聞いていなかった(当時、ほとんど興味がなかった)せいで、このあたりしか記録に残っていないのですが、例え無関心であっても、ここで私にも種をまかれているので、今になってこうして芽が出たってことでしょうか。
S女史が言うことによりますと、私たちのネガティブなエネルギーを栄養源とするネガティブ系の存在がいるということを言っており、それらは三次元にはいないので見えない。
そして私たちはそのネガティブ系エイリアンにすでに支配されている。ということを伝えてくれていたわけですが。
それが今世界を何が何でも支配&破壊して自分たちの思い通りにするために、私達の進化を阻み破壊をしてしまおうとしているのではないか?という風に見えてしまうのです。それは今世界的にある紛争、戦争危機、異常気象による甚大災害と、そこからの食糧危機、
ウイルス感染による人々への脅威等々・・・小さなことから大きなことも含めてさまざま、このあちらこちらで起こり続ける終わらない狂った様相について、いったいなぜ?どうして?と尋ねても本当に分からない。
そして、それに対する各国政府の対応や支配者たちの対応の異常さ、特にこの日本政府でも、自分たちの破壊と自滅に向かわせるようなあまりに残酷なことばかりが目立つ。
この異常さについて、原因は何かと探してみた時に、裏側にその地球人を支配しているネガティブ系のエイリアンたちが(地球人)をネガティブな状態に置いておくためにそれをしているというと、非常に納得がいくかんじがします。
もちろん、それを確認することも、確証を得ることもできませんが、ただ、私も昔聞かされたときには、全くピンと来なかったことが、この世界を知るにつけ、情報を掘り下げるほどに、、S女史に昔言われたことが、もしやこういうことだったのか・・と思うようになった。というわけなのです。
そして、この1803年(江戸時代)にあったという「梅の塵」と「兎園」という記録集に出てくる、不思議な舟に乗って流れ付いた女性についての話。これがもしやリュラ星人であったのかも?という風にY氏が検証をしていたのですが、このイラストを見ると髪の毛の長さがS女史も異常に長いというか、、腰よりも下にくるほど長かったので、無関係とは思えないように思えます。これも面白いことだなぁと思います。
※↑これは、当時、私が描いたS女史のイラスト。
左側が私が会わせてもらったときの服装。右側はY氏のところにテレポテーションして現れたときの恰好をY氏より聞いて描いたものです。
当時、これらの出来事を検証するテレビのバラエティ番組内でも取り上げられました。(ご存知の方もいると思いますが) これを見ていただくと分かるように、髪の毛が異様に長いのです!
地球の女性はあまりここまで長くはしないし、長くしてもこういう風に垂らしたままにはしないですよね・・・。
第12回の転載は、ここまで。